note:抑うつからの回復

リオオリンピックをなんとなしにみてたら、前回のロンドンオリンピックの時期のことを思い出したので、記録。 

昨日は上司もおらず暇だったので、仕事するふりして、会社のパソコンで書いていた。
ランチのときにきいたら、前部署で、またひとり、メンタル休職が出たらしい。
気の毒に思う。本人も、まわりも。
そして、こんな振り返りをしているタイミングで、偶然、そんな話題になるのも不思議だと思った。

しかし、リオオリンピック開会式のこれ、きれいだ。

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2012年7月に重度の抑うつと診断され、休職した。
その日は、基幹システムの切り替え初日で、本社説明会をする予定で出社しようとしたら、最寄駅の階段がどうしても、登れない。地面に固定されたように動けない。
上司に連絡したら、意外なほどあっさりと「落ち着いてからでいいので、会社においで」と言われ、30分くらいベンチで休んで 電車にのって会社に行き、執務エリアにはいかずに会議スペースで上司と面談。
当時の上司はもともと穏やかな人なので、「病院に行っておいで。後のことは気にしなくていい」と言われ、その場で精神科を探し、駅前のクリニックにいった。
○×を付けるテストがあったが、自分でも驚くほどマイナスな評価が付いた。こりゃ私、ヤバいのかな・・・と思ったらすぐに診断書を出され 、そのまま休職となった。
仕事のストレスがひどく、実は春ごろから、辞めることを考えるようになっていた。仲のいい先輩にそのことを打ち明けるつもりで、飲みに行く約束までしていたけど、
その前に、自分の「警備装置」が作動してしまった。
他人事のようだけど、人間の自己防衛本能は、ちゃんと動くものだ。壊れる寸前に自分をレスキューする力が、あれほど衰弱していても発動したのは、我ながら、すごいと思う。

そこまで追い込まれた理由は、いくつかあった。
・当時、事業会社の大規模プロジェクトのPMを二つ掛け持ちしていて、そのうちひとつのプロジェクトの相手方の責任者と 非常に折り合いが悪く、自分の提案はことごとく却下され、相手方にも自社にも責められることが多かった(と感じていた。今思えば、実際は責任者を除けばそこまでなかったと思うが、弱った自分には堪えた)
相手とは最初はわりと良好な関係だったので、自分の能力不足が相手を失望させてしまったのかと、自分でも自分を責めていた。(今思えば、あれは完全にパワハラモラハラだったと思う)
・それなのに仕事にのめりこんだ理由は、大きなプロジェクトだったので成功させたかった、という欲もあったし 、その前に、自分がそれまでずっとやってきた業務を「コスト削減」でアウトソーシングするプロジェクトをやって、自分が頑張ってきた仕事を「こうすれば安くなります」という計算をして経営層の稟議にかける、というつくづく虚しい仕事をして、その辛さから逃避したかった、麻痺したかった。
私いったい何やってきたんだろう・・・って、考えてしまうと、足元から崩れてしまいそうだったから。(今思うと、周りもひどいよね。ノーフォローだった。笑)
・それから、夫婦で話し合ってお互い納得した結論だったけど、もう子どもを諦めるという選択をしたことも、自分の中には「逃避したいこと」にあった。
子どもが欲しくて、わざわざ保育園と小学校の近いマンションを買ったし、夫も私も親になりたかったから。
でも妊娠できなくて、優しい夫は本当に心から「二人でも楽しいよ」と言ってくれていたのはわかってたけど、生めない自分がつらかった。夫に赤ちゃんを抱っこさせてあげたかった。
・心身ともに、どちらかというと強いほうで、これまでもそれなりに荒波を乗り越えてこれたので、自分のキャパを過信していた。
人間には限界があり、やりすぎると壊れるということを知らなかった。助けを求めたり、うまいこと逃げたりもできず、常に正面から全力投球という戦い方しかできなくて、閾値を超えてしまった。

 

ロンドンオリンピックは、休職をしたけれど、何をすればいいのかわからず、当時北海道にいた両親のもとにいた。
両親には病気のことは話していないし、そのあとも伝えてない。ただ、時期外れの夏休みだと説明していて、 まだそれまでの激務の余韻が残っていて、体はそれなりに動いたし、外にも出られたので、親は気が付いていないと思う。
8月後半から夫がアメリカ出張に出かけ、そこで一人になった途端、スイッチが切れた。
2か月間くらい、何をしていたか記憶にない。ずっとカーテンを引いた暗い部屋で寝ていた気がする。
10月にお友達夫妻と会ったけれど、途中でひどい頭痛と吐き気がしたことを覚えている。
それでも家にいると、だんだん、家にじっとしている自分に焦りも出てきて、多少は動けるようになったので、7か月休職して、同じ部署に復職した。

でも、今思えば、このときは、全然治ってなかった。
倒れる前から蓄積していた疲労と、精神薬による体の負荷で、心身のコンディションは常に悪かった。頭が痛かったり眠気が取れなかったり、今より10kg以上太っていて何をするのも億劫だった。
そして、思うように動けない自分をまた責めた。
部署のメンバーとは仲良くて好きだったから戻ったけど、戻ってみたら、当然だけど、責任のある仕事は任せてもらえない。
自分がレール敷いた仕事を、今はほかの人がPMとして取り仕切っている。
プライドの高い私はそれがつらかった。
服薬やカウンセリングを続けていたけど、私には特に効いている感じはしなかった。
表面上はそれなりに元気に過ごしていたけど、心の中の空虚はどんどん広がって行って、駅までいっても会社にどうしても入れなかったり、話している途中で涙が止まらなくなったり 、ますますヤバい人になっていった。
休むことも多く、2014年3月に何日か休んだ後、また会社に行けなくなり、再休職となった。
ただこのときは、「自分で自分がやばい」ことを察知し、自らストレス源から逃げたことは、ひとつ進歩したと思った。

 

再休職した時、もういちど、真剣に辞めることを考えた。
ここまでして、会社に居続ける必要があるのか?と何度も考えた。
辞めなかったのは、20年続けた正社員の地位への執着と、意地。
ここで辞めたら敗北者だと思った。意地でも元気になって、私を苦しめた奴らを見返してやりたかった。
(今は、いや相手はたぶん何とも思ってないし、そこまで意地にならなくても、と思うけど・・・まあ結果オーライ)

 

もう病気で苦しむのは嫌だったので、カウンセラーを探した。
心の中に、抑圧されたダークな部分があることを感じていたので、それをどうにかしないと、同じことの繰り返しだと思った。
病院のカウンセラーは若いネエチャンで、正直、お前のような若造に私の何がわかると思っていたので、2回ほどやって、やめていた。
ネットで見つけたカウンセリングは1か月待ちだったけど、幸い、私はこのカウンセラーには信用をもつことができ、
ずっと心によどんでいた苦しみや悲しみを、吐きだすことができた。
最初に自分の思いを吐きだしたときは、号泣した。自分の中に、それほどの思いがあることに、自分でびっくりした。
少しだけど、メンタルヘルスのことを学んで、ほんの少しずつ、「こうあるべき」を高く掲げて、自分を合わせるというスタイルから、「今のそのままの現実を受け入れる、まずはそこから」という考え方にシフトする努力をした。
私は早く治りたくて焦っているけど、まだ心の中には、こんなに心の澱がたまっているんだなあ。
ちゃんとなおすには、その澱を全部吐きださないといけないし、それってすぐに100%解決で気はしないだろうなあ、と、ある意味、腹をくくった。
もう、今までいた道には戻れない、新しい道を歩くしかない、と何度も自分に言い聞かせた。

2014年7月に再度、復職。同じ部署に戻るとまた同じストレスなので、事前に人事部長と面談し、異動願いを出して、その通り、異動の発令が出た。
ただ、異動先はスタッフ部門で、メンバーも社内では「あー・・・」と言われるような人たちばかりの、いわゆる、花形部署とは反対の、ビミョーな部署だった。
でも、「新しい道を進む」と決めたので、なかなかストレスは多かったけど、頑張って通い始めた。
勤怠はよくはなかったけど、産業医の面談で問題になるほどではなく、そこそこでいいからと割り切って、通い続けた。

 

体調改善にも取り組んだ。
やりたいことやるには、まず健康第一!と身を以て感じたので、健康になるための努力をした。
一駅ウォーキングしたり、養生とペットボトル温灸を知って、食べ物気を付けたり、調子が悪いと温灸したり。
健康を取り戻すにつれ、体重が落ち、体力もついて、少しずつ、動ける範囲が広がっていった。

 

仕事以外の生き方を見つける努力をした。
ランニングに本格的に取り組み、文字通り汗水たらして、血を流して練習した。
瞑想を始めた。

 

自分を見つめ直す努力をした。
カウンセリングを続けた。
知人の知人にコーチングを受けた。

 

人間ドックで子宮に問題が見つかり、昨年の秋に、レーザー手術をした。
もともと筋腫はあったけれど、私の子宮はあまり、元気いっぱいではなかったようだ。
子どもを産むことはとっくに諦めていたはずなのに、どこかでふんぎりがついたという気がした。

 

とはいえ、今の上司と同僚が生理的嫌悪感を催すくらい気が合わなくて、時々、ストレスに耐えられずに薬を飲んだり、会社を休んだりすることもあった。

なんとかかんとか、ほんとに言葉通りなんとかかんとか、日々を乗り切っていた。
休職前から仲良かった人たちとは、嫉妬したり卑下したりせずにまた普通に過ごせるようになったし、ランニングを頑張ることで、今までになかった交流を持つことが できるようになって、場面場面では破たんしていたこともあるけど、トータルではストレスに対抗できていたとは思う。

 

今年の2月、一生懸命努力して、目標のフルマラソンを完走。
本当にうれしかった。
仕事以外で、努力して大きな目標を達成できたことがうれしかった。
どんなに自分を励ましてみても、成果を出せていない自分はいつも不安だったから、やればできるんだ!と思えるようになって、やっと、自分の手に自分の人生が戻ってきたように感じた。

 

とはいえ、フルマラソン完走後も完全にバラ色とはいかず、薬を飲んだり休んだりはあって、 会社にはギリギリ行っていたけど、仕事はやる気が起きず、勤怠も悪く、クサっていることが多く、時々、すごいストレスの発作があった。
私にはキモイとしか思えない上司と同僚のコンビが仕切る部署の仕事は、私のこれまでの仕事のしかたからみれば全然納得のいくレベルではなくて、そんなレベルの低い人たちに最低限とはいえ、つきあわなければいけないのがほんとに、イライラした。

 

しかし今年の春に統轄部長が変わり、生理的に嫌いな同僚が異動していったことで、私にとっては、環境が好転した。
新しい統轄部長は、少なくともこれまでと比較すれば、断然、私が納得いく水準のマネジメントをする人で
要求も高いので忙しくはなったけど、納得のいく仕事を任されるのはやりがいがあるし、イラつく奴の顔を見ないで済むし、養生、ランニング、温灸、瞑想など、他の活動も良い結果が出始めて、断薬することもできたし、カウンセリングも「不要」と思えた。


上司や他の同僚は相変わらず大嫌いで、できれば、顔も見たくない。だけど、自分へ大きな影響を与えるほどではない。
仕事以外では関わらないと割り切って、お付き合いは一切断ってとっとと帰り、自分の時間を大事にするスタイルは、わりと気に入っている。
今まではむしろ環境や周囲に恵まれすぎて、仲良かったのがかえって、ほどよい距離を持つことを阻害していたのかもしれない。
一線を引くことができるようになったのは、進歩だと思う。


そして、病気にまでなったのに、私にとっては、ちゃんと仕事をする、というのは大切なことだ。
マジメだなあ、貧乏性だなあ、と若干あきれてもしまうけれど、暇で眠たいより、忙しくバタバタするほうが好きなのだから、仕方ない。
ただもう、同じ轍を踏みたくはないので、ついついのめりこんでしまう自分のチューニングは、注意深くやる必要があると思っている。

 

瞑想をすることで、自分がいかに、小さいことに囚われているかを実感している。
私は悟りを開くほど高尚な人間ではないので、今も目先の小さなことに囚われていることはしょっちゅう。
でも、湧いては出てくるイメージは、その時点では確かに存在はしているけど、一方ではうたかたであって、ちょっと体調が違ったりするだけでも、全然出てくるものは違う。
それを知らなかったので、私は病気になるほど、肥大化した”現実ではないもの”に追い詰められてしまった。

 

カウンセリングで気づいたけれど、最後のところで私は「自分はやれる」と信じている。私はやっぱり、強い子である。
その強さを、いい方向に生かして、これからはしっかりと新しい道を歩いて行こうと思う。


あれほど、昔はこだわっていた「私をいじめた奴らへの意地」は、コダワリが消えると、薄れていった。
前は同じ名前をニュースで聞くだけで嫌だったのに、今は社内でばったり会っても、何とも思わない。手放すことができてよかった。

 

病気をしてよかったとは思えないし、きれいごとも言いたくない。
苦しくて辛くて、もう二度となりたくない。
私を苦しめた奴も苦しめばいいのに、罰が当たればいいのに、という気持ちはいまも正直、ある。関わらないし、そこに足を取られたくはないけど。
気にしても仕方ないけど、元メンヘラって相手からするとやっぱ引くよな、と思うこともある。

 

でも、4年前のオリンピックのときは、いま、自分がこんな状況にあると予想はできなかった。
残業をなるべくしないから、収入は減ったし メンタル休職2回もやったから、会社ではとくに尊重されていないし、今後も、華やかな位置にはいけないだろう。社内的には「地味なオバサン」って感じかな。
会社に毎日行っているし、まだしばらくはいるつもりだから、その事実に直面すると、嫌な気持ちには、やっぱりなる。

 

それでも、新しく得たことのほうが断然、大きいので、トータルでいえば、勝った!という気持ちでいる。
どれも全然完璧ではなくて、うまくいかなかったりさぼったりすることもあるけれど、私の人生の新しい彩りだ。

 

加齢でそれなりに体力は落ちつつあるけど、体調が良くなったので、心身ともに安全運転できる時間が格段に増えた。
ランニングで大汗をかいたり、早く走れたりする喜び、楽しみ。
瞑想で得られる、かすかだけれど、あとで徐々に広がっていく気付きの重み。
依存ではなく、Win-Winの人間関係の心地よさ。
ご飯をつくったり、掃除したり洗濯したり、基本的な日常生活を大事にする努力をして、ささやかだけど、仕事より確実に目に見える成果を出せ、満足感を得られることの発見。
旅行にいったり、本を読んだり、自分の人生には、まだまだたくさん楽しむ余地があるぞ、と思えること。
波のある私を変わらずに支えてくれた夫、ただただ無心に懐いてくれたり、こっちの状況など気にせず過ごすペットたちと一緒に過ごせることも、嬉しい。

望んだ方向転換ではないけれど、結果的に、私は病気をしたことで、大きく生き方の舵を変え、新しい航路を進み出している。もうくだらない誤ちは繰り返したくないと思う。

自分を大切にして、家族と仲間とともに、自分が心から納得できる生き方をしたい。それが、私の病気の意味だったと、四年経って、やっとわかった。